沿革


明治33
東京府告示により「東京府立第二高等女学校」が同時に創設された東京府立女子師範学校内に併設される。
 
本科第1、2、3の各学年を募集、補習科を併置する。
 
文京区久堅町光圓寺に仮教室3室を設置、1日から授業を開始する。
 
文京区竹早町の現在地に移る。移転後第3学年は追加募集し、66名が入学する。 第4、5学年は府立第一高女より転入。
 
11
開校式を挙行。(この日11月7日を開校記念日に定める。)
34
第1回卒業式。補習科廃止。
東京府立第二高等女学校同窓会創立。校長が会長に着任する。
36
1学級48名、全5学級制確立。生徒定員数約250名。
40
校歌制定。(作詞 畠山 健  作曲 岡野 貞一) 補習科復活。
42
校長事務取扱 林 吾一退職、鈴木 光愛校長事務取扱に着任。
43
校友会設立。
11
創立10周年記念式典を挙行。
44
校友会「会誌」第1号を発行する。
補習科廃止。
大正 4
校舎本館改築工事開始。
11
新校舎(木造)完成。
鈴木 光愛校長退職、高橋 清一校長が着任。
10
初めての宿泊旅行(5年生 日光)が行われる。
10
生徒募集を倍増し、甲乙2学級編制とする。
11
同窓会を篁会と改称する。(これまでの校長会長制を改め、独立して理事制とする。) 第5学年が最初の関西旅行を実施する。スポーツ盛んとなり、各種全国大会で活躍する。
12
高橋 清一校長逝去、龍山 義亮校長着任。
第6回極東選手権大会にバレーボール選手を送る。(エキシビションゲーム)
13
校友会遠足部が主催する富士登山が行われる。(60名参加。)
14
11
創立25周年記念式典を挙行。
15
校友会誌を「たけはや」と改称する。
昭和 2
龍山 義亮校長 文部省視学官に転任、田中 一元校長着任。
バレー・バスケットボール・テニスの3部の生徒、九州へ遠征旅行に出かける。
女学校体育連盟競技会にてバレーボールで優勝、テニスで1、2位を占める。
10
校章を制定。セーラー服を制服として採用する。
11
創立30周年記念式典を挙行。
校舎鉄筋化工事開始。
校旗制定。
高女4年生、二葉幼稚園を見学。
11
明治神宮奉祝大会でバスケットボールに優勝。
10
11
新校舎完成。
11
補習科設置。
12
数回にわたり防空防火演習を行う。
13
田中 一元校長退職、加藤 寛亮校長着任。
14
高女5年生、修学旅行で朝鮮半島まで足を伸ばす。(翌年も同様。)
剛健遠足開始。
15
11
校舎改築落成式とあわせ、創立40周年記念式典を挙行する。
16
補習科を専攻科と改称。北多摩郡小平村に農園(1705坪)を設置する。
杉浦 重剛先生 記念碑の除幕式を挙行する。(本校校地内に先生の称好塾があった。) 竹早報国隊・報国団を結成する。
10
運動会を鍛錬大会と改称する。
17
高女5年生凸版印刷に勤労奉仕に出かける。
学制改革により高等女学校4年制となる。
18
加藤 寛亮校長 新潟第一師範学校長に転任、額田 登校長着任。
東京府立女子師範学校、官立の第一師範学校女子部となる。本校は国有の校地校舎に同居することになる。
東京都制施行により「東京都立第二高等女学校」と改称する。
19
10
額田 登校長 和歌山県師範学校長に転任、石野 悌校長着任。
20
決戦教育措置要綱決定により、向こう一年間授業停止。
授業再開。
10
全校遠足。
21
高等女学校5年制復活。10学級生徒総数約500名となる。
父兄後援会設立。
22
石野 悌校長 香川県師範学校長に転任、中路 正義 初代の専任校長として着任。 師範学校との併設関係なくなる。
23
学制改革により「東京都立第二女子新制高等学校」と改称。 併設中学校第3学年3学級、高校第1学年3学級、第2学年2学級、第3学年1学級の計9学級編制。
定時制課程設置。
24
男女共学制実施。男子生徒5名、第1学年に入学。学年縦割ルーム制実施。(25年まで。)
PTA(竹早会)設立。
11
創立50周年記念式典を挙行。(当時 教職員 25名 生徒在籍 528名)
25
「東京都立竹早高等学校」と改称。
27
10
中路 正義校長退職、水町 清校長着任。
28
校歌制定。(作詞 木俣 修  作曲 平井 康三郎)
29
1年生300名募集。(6クラス体制の開始)
31
水町 清校長 都立北野高等学校長に転任、関 一穂校長着任。
32
2学年で文系、理系コース制採用。
10
運動会が38年まで隔年の実施となる。
34
山梨県八ヶ岳山麓に県有地1万7百余坪を借用する。
35
財団法人「竹早会」設立。
12
校外施設八ヶ岳竹早寮落成。(清里高原)ホームルーム合宿に利用。
38
11
第1回竹早祭(文化祭と体育祭)開始。
39
関 一穂校長定年退職。
加藤 三郎校長 都立雪谷高等学校より着任。
41
学校群制度により小石川高等学校と41群を編成する。
42
加藤 三郎校長定年退職。
 
布川 正吉校長 都立新宿高等学校より着任。学校群制度による第1回生入学。
43
国と都との施設設備の分離独立に関する協定成立。
11
竹夕祭(文化祭の後夜祭)開始。
44
新PTA(父母と教師の会)発足。
「生徒権宣言」出される。(いわゆる高校紛争の時期。)
45
新校舎完成により現在地に戻る。
46
第1回歌舞伎教室行われる。
47
布川 正吉校長 都立国立高等学校長に転任。
川崎 哲行校長 都立板橋高等学校より着任。
体育館(ピロティ型)と食堂(定時制)落成する。
49
生徒クラブ部室(3階建)落成。
10
創立75周年記念式典を挙行。(文京公会堂)
50
川崎 哲行校長定年退職。
木村 雄三校長 都立小岩高等学校より着任。
54
木村 雄三校長定年退職。
金澤 孝校長 教育庁指導部より着任。
55
海外帰国生徒を受け入れる。(1名)
10
運動会形式の体育祭復活する。(旧東京教育大学グラウンドにて。)
56
和室(茶室)完成。(2階被服室隣り)
海外帰国生徒学級を設置する。
57
グループ選抜制度による入学選抜(41グループ)開始。
海外帰国生徒学級棟完成記念式典挙行。
12
画廊開設。
58
第1回合唱コンクール(1年生のみ)実施。
金澤 孝校長定年退職。
村中 駿博校長 教育庁人事部より着任。
60
第1回小音楽会行われる。
東京学芸大学学生寮(旧若竹寮)跡地本校用地となる。
11
創立85周年記念式典を挙行。(豊島公会堂)
61
東京学芸大学学生寮の若竹寮解体。
62
鳳雲斎 玉舟(市原 長太郎)作雛人形修復。
村中 駿博校長定年退職。
濱 和廣校長 都立清瀬東高等学校より着任。
平成 元
11
創立90周年記念式典を挙行。(国立教育会館虎ノ門ホール)
濱 和廣校長定年退職。
杉内 重信校長 都立足立新田高等学校より着任。
12
新校舎改築第1期工事開始。
杉内 重信校長定年退職。
金井 忠雄校長 都立江北高等学校より着任。
校舎棟改築工事完成し、移転する。
金井 忠雄校長定年退職。
筒井 利行校長 都立多摩教育研究所より着任。
修学旅行に飛行機をはじめて利用する。(北九州方面)
体育施設棟改築工事完成。 定時制課程閉課程。
11
校舎落成記念式典を挙行。
10
筒井 利行校長定年退職。
中込 勝英校長 都立神津高等学校より着任。 男女混合名票使用開始。(1年より)
11
沖縄への修学旅行始まる。
12
中込 勝英校長定年退職。
礒山 進校長 都立明正高等学校より着任。
11
創立100周年記念式典を挙行。(文京シビックホール)
13
創立百周年記念碑「夢の風」建立。
第1回T・スクエアー開催。
15
礒山 進校長定年退職。
甲田 充彦校長 都立南多摩高等学校より着任。 2学期制に移行。 45分7時間授業開始。 学力向上フロンテイアハイスクール事業指定校となる。(17年度まで)
16
芸術鑑賞教室始まる。
 「総合的な学習の時間」開始。
18
甲田 充彦校長定年退職。
桑木 健校長 都立大泉桜高等学校より着任。  3学期制実施。
19
桑木 健校長 都立練馬工業高等学校へ転出。
浅田 博校長 都立上水高等学校より着任。
22
浅田 博校長 定年退職。
丹藤 浩校長 都立杉並総合高等学校より着任。
進学指導推進校として指定される。(24年度まで)
11
創立110周年記念式典を挙行。
24
東京府立第二高等女学校記念碑建立。
25
進学指導推進校として引き続き指定される。(29年度まで)
26
丹藤 浩校長 定年退職。
高田 純一校長 都立紅葉川高等学校より着任。
28
地下厨房跡教室化工事完成。
英語教育推進校として指定される。(30年度まで)
29
45分7時間授業から50分6時間授業に移行、土曜授業開始。
 
理数研究校として指定される。(29年度)